◆創業期
戦前、創業者である中橋清(きよし)は東京でうどん屋に奉公に出ていた。太平洋戦争が勃発し、その経験を
買われた清は炊事兵として徴兵される。
戦中は料理の腕を振るい、厳しい戦いを続ける兵士たちを励ましていた。
終戦後、故郷に戻るも仕事は無く、自分に何が出来るのかを自問する。料理の腕を振るう事も考えたが、当時、
料理を出す店は魚屋だけで、何のつてもない清には手を出せる事業ではなかった。そこで、戦前の奉公先で覚え
たうどんを作る事を決意する。冷蔵設備の無い当時、麺は乾燥めんが主体で、清も乾燥うどんの製造販売を開始
する事になる。しかし、当時の常陸大宮ではうどん作りがさかんで、近所にも十数件のうどん屋が乱立している
状態。新参者の清は「今さら始めたところですぐに潰れる」と笑われていた。
しかし、物静かな性格の中に負けず嫌いな面を併せ持つ清は、そんな声を聞くたびに
「なにくそ!絶対に潰すものか!」
との思いを抱いていたという。
時代は高度成長期を控えた昭和30年代、東京を中心にラーメンが広がっている事を知る。東京時代の友人を頼
り、ラーメンの製法を学んだ清は、故郷でもこのラーメンを広めたいという思いを抱く。当時、徐々に地方にも
広がりを見せていたラーメン文化、しかし、まだそれは乾燥めんを中心とした料理に過ぎなかった。東京で学ん
だ生ラーメンを広げたいと考えていた清は、乾燥めんとは違う味、食感の生ラーメンにこだわりたかった。しかし、
そのこだわりが清にとっての壁となる。冷蔵設備もない当時、生ラーメンを使う事は、ラーメン店にとっては
「傷みが早い」という理由で敬遠されていたのである。当時、東京でも生ラーメンは傷みが早い事もあり、鮮魚な
どと同様に1日1回の配達が常識だった。消費量の多い都会でさえその状況なのに、田舎では在庫を傷ませてしまう
リスクはさらに高い。
そこで、清は1日2回、昼前、夕食前の配達をする事を条件に、各店主に交渉したのである。ラーメン店にとって
もより美味しい麺を使用でき、傷みによるロスを少なくできる、願ってもない条件であった。美味しい生ラーメン
を広めたいという想い、お客様に喜んで頂きたいという想いが、実を結んだ瞬間であった。
その後、清は毎日2回、自転車での配達をしながら、得意先を増やしていった。さらには世間にオートバイが普及
しだすと、すぐさま取り入れ、配送距離を伸ばして、さらなる得意先を増やした。新しい物をすぐに取り入れる姿勢
は麺づくりにも活かされて、改良に次ぐ改良を重ね、「なかはしの麺は美味しい」と評判になった。お客様に喜んで
もらいたいから何でも取り入れる。喜んでもらいたいから美味しい物を作る。この創業者の姿勢が中橋製麺所の原点
なのである。
◆継承
清亡き後、25歳の若さで長男存(たもつ)が家業を継ぐ。清以上に物静かな性格である存は、職人としての腕を磨
き続ける事になる。美味しい物へのこだわりは、父清以上であった。その頃、好江と結婚する。外交的な性格の好江
は営業を担当し、二人三脚の経営が始まった。
しかし、当時は営業規模も小さく、製造も手作業中心であった。時代は高度成長期。このままでは時代に取り残さ
れてしまうという危機感を持った存は、最新式の製麺機の導入を決意する。納入した業者には「この規模の工場には
もったいないよ。高い買い物なんだから、もっとよく考えたらいいんじゃないか?」と、何度も言われたという。
父譲りの負けん気もあった存は、「この機械でもっと美味い麺をつくる」という決意を硬くした。好江も営業距離を
伸ばし、新規開拓に励む事となる。高度成長期の波に乗り、順調な経営が続く。中橋製麺所の原点である乾燥うどん、
今や主力商品となった生ラーメンに続き、餃子の皮、茹で麺の製造も開始する。そして平成4年7月、会社を法人化
「有限会社 中橋製麺所」が誕生する。
◆そして現在へ
バブル崩壊のあおりを受け、外食産業に陰りが見えてきた頃、長男清貴(きよたか)が入社、続いて長女美穂(みほ)、
娘婿の剛(つよし)が相次いで入社する。しかし、時代はバブル後の不景気に見舞われ、工場も老朽化。今後の方針を
見直す必要があった。そこで存が出した答えは、最新式の新工場を建設し、衛生、安全面を強化する事で差別化を図る
というものだった。不景気への不安で反対意見も多かったが、存の決意は固く、平成13年、新工場が完成する。この頃、
ラーメン業界では顧客の争奪戦が激化し、泥沼の様相を呈していた。営業を担当し、専務取締役に就任していた清貴は、
麺の製造卸に限界を感じ、小売りの強化を提案する。
平成14年、ネット通販「楽天市場」に出店。当時楽天は6年目の創業期であったが、楽天の持つ将来ビジョンに共感
し、楽天市場店「常陸麺づくり本舗なかはし」を開始する。現在、従業員数17名に成長し、全国のラーメンファンに
「美味しい麺」を届けている。
創業者である清の「お客様に喜んでもらいたい」という想いを受け継ぎ、麺の改良、お客様の側に立った経営を心掛
けていかなくてはならない。
中橋製麺所